2003年制作雑記  後期

03.12.22
先日から泊り込んで頂いて撮り直しをした。
3度目の撮り直しに恐縮するが、納得するものを撮りたい。
このモデルさんの瞳の強さが好きであるが、過ぎてノイズになるかも知れない。
それもまた面白い画面になるかも知れない。

悠長に過ごしたい年末だが、やたら慌しい。
テレビばかり観ていたツケが来たのか・・・・

右はテストのデジカメ画像。


03.12.19
5泊6日上京していた。泊まっていたのが三ノ輪の泪橋近く。「泪橋」と云う言葉の歴史にしばし感動し黙祷する。

途中、ジブリ美術館に山崎に連れて行かれる。
「つまらないもの」 と云う思い込みの他、随分と楽しんでしまった。
子供の頃、自分が如何に機械フェチであり鉱物フェチだったか思い出される。

飯沢さんにミルキィ・イソベさんの所へ連れて行ってもらう。初対面にかかわらず和んでしまう。

スナイパーの編集長・渡邊さんに
美味しい仏蘭西料理をご馳走になる。
最近「Fetish Mode」(ワイレア出版刊)を出されたが、美しい造りの
フェッテイシュ本だ。

銀座・ギャラリー・ミリューに立ち寄る。金安さんも佐伯さんも変わりなくお元気であった。


02.12.9
洞窟を利用した建物、または洞窟のような建物をグロッタという。
内部を鍾乳洞のように装飾して隠れ家のようにしたり、また礼拝堂としたりとその用途は様々だ。
穴の内部は人体の内部のように造られやたら有機的でもある。所謂グロテスクだ。
何もしたくない時は母親の子宮のような洞窟で、ただ憂鬱に寝ていたい。

先日、またテスト撮影をした。当分、テストと撮り直ししかやらない予定である。
頭が空っぽなのである。うまく空想が閃かない。
球根ならば地面の中でじっとしていたら花は咲くが、
人間なので街に出たり本を読んだりだろうか。
まあ、12月の街は好きである。
洞窟ではないが、ガラス張りの喫茶店から 忙しそうに動く活きの良い人々や街景色を見るのは何とも心躍る景色である。


03.12.1
どんどんと創ると どんどんと消耗していく。
そんな時の撮影は悪くするとただ作業を消化していることがある。
別にそれが撮りたい訳ではない。
その場合多くは自分にとっての真実は入っていない。 見た目は美しくあっても どこか空虚で力がない。

一度自分にとっての曼陀羅を撮ってみたいと考えている。
世界の全てが入っている絵である。
自分にとっての世界観であればよいと思う。

しかし創作は考えたり思ったりするとこではないのかも知れない。
理屈が先立つと面白くなくなる。



03.11.21
暗室作業の日々、つい鬱々と過ごしてしまう。
次の日にまとめてプリントすればと思いながらテレビばかり三日も観てしまった。

テレビを観て結構感動したり感心したりするのだが、その感動を翌日に誰かに伝えようとすると、伝えるべき言葉を 忘れていたりすることが多い。
呆けているのかとも思うが、友人も同じようなことを言っていた。
どうもテレビの感動は印象に残りにくい気がする。

右の画像は今日のプリント分のひとつ。着色は未だである。おそらく発表は3ヵ月後くらいだろうか。 ネットではそのもうひと月後ぐらい。


03.11.12
先日、四角いフォーマットのカメラを買った。所謂、6×6と言われているカメラだ。
夏に行った広島で山崎が「ホルガ」という中国のトイカメラでドームを撮影していた。
それをプリントして着色してみたら、結構好みであった。右に画像がある。

しかし、フォルガでは機能的に足らな過ぎるし、かと言ってあまり写りがシャープでも趣もない。
購入するカメラには久しぶりに悩んで、時代的に古いカメラを選んだ。

近況としては、また急に寒くなり憂鬱になっている。去年分の雑記とまるで同じことをやっている。進化がない。三日ほど寝ていて、今日からまた暗室作業をしている。


03.10.29
26日に九月の終わりと十月の初めと撮影していたものの、続きを撮影した。
撮り足しと撮り直しをしたのたが、撮り直し分がやはり納得できなかった。
この分はもう一度撮り直す予定である。

一通り撮影が終わるとまた憂鬱になってくるから不思議だ。
やらなくてはならないこともあるが、気乗りしないせいか、どうもグータラとなる。
寝る前は色々と決意も新たにするのだけれど、朝になると全てが御破算になっている。
これは思春期の頃からの恒例である。
どうしたら性格は改まるのだろうか。
やる気に満ちた人生というものを一度味わってみたい。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。


03.10.22
京都では相変わらず目川探偵が大活躍だった。
数十年前から写真のように沿線の駅には彼の大きな看板が幾つもある。 しかし、こんなに目立って、隠密行動の探偵が勤まるのかと、学生だった
頃からの疑問である。

また目川氏の禿げ具合も随分と変わっていると思うのだが。如何なものなのか。
肖像写真がもたらす印象の定着とは面白い。
写真は過去しか写さない。 未来は常に老いている。
決して老いを否定しているのではない。そういう宿命にある。
だから家族写真も見ていて、懐かしく何処か淋しいものがある。

03.10.20
撮影は5月に撮影したものの撮り直しです

今回はイメージをかなり修正して撮影したので、失敗はないと信じたい。
前回は自分のイメージをそのままモデルの方に押し付けて失敗してしまった。
遠方の方なので、短期に終了させなくてはならないので、臨機応変に
イメージを変えることが出来なかったのが敗因だった。
なので今回は余分に一日撮影日をとっていた。
結局、予定通り撮影が済み、撮影最終日である今日は二日酔いとなる。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。

0310.19
京都での個展は終了しました

途中3日間撮影の為、ギャラリーには行けませんでしたが、 お越しいただいた皆様有難うございます。またギャラリーの石橋さん並びスタッフの皆様には大変お世話になりました。

ゆったりした会場で アンティークな椅子や机を揃えていただき、作品と雰囲気がとても合っていました。
無事最終日を迎えることが出来てほっとしています。



03.10.14
今日で個展二日目。
ここは京都の中心河原町三条付近にあり、大阪から毎日1時間以上かけて通ってます。毎日京都を満喫しております。特に食事に関してですが。

初日からモデルさんやアシストさんなど色々な方にお越しいただいて有難いです。
また、いつもお世話になっている評論家の飯沢(耕太郎)さんと本当に久しぶりに会食できて

勇気をいただきました。
飯沢さんは評論家という職業にありながら、作家に閃きや方向性を導き出す力が有る方なので、迷いの中から救い出される事が多々あります。

在廊予定としては水曜日と日曜日の夕方からは確実に居ると思います。



03.10.5
PCがクラッシュ一歩手前である。今日届いたメールが5通ほど一瞬で消えた。
心当たりのある方はもう一度お願いしたい。
また、返事が来ない場合は修理中とお考えいただきたい。

この土日は前回に引き続きの撮影である。
2日間で撮影がしきれず10月下旬にまた撮影をする。

今月の中旬は個展と5月に撮影した方の撮り直しをする。飛行機でいらっしゃる方なので、
撮り直しは非常に心苦しく感じる。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。


03.9.28
今日のモデルは女子高以来何度かテスト撮影をしていた方のものである。
3度テストしてやっと状況が整ったので撮影に入った。
と言ってもコンテは今日の一点のみしか出来ていず、全体には白紙である。

9月のひと月間の鬱の為、一切の作業もコンテも出来なかった。
ある程度無理を言える方なので、考えながら撮影をさせていただいている。
昨秋の「月夜見の姫」や「真夏の夜の夢魔」の時のようなパターンで、
またモデルの方に負担をかけてしまうことになる。
申し訳ない。
画像はテストのポラロイドである。


03.9.24
こんな
夢を見た。
明日が個展初日なのに まだ何にも用意をしていない。 おまけに体調が物凄く悪く熱もある。
子供の頃より私は、熱を出してまで会社に行くような仕事はしたくないと熱望していた。
なのに誰も代わりをしてくれない 仕事に就いている。
夢の中で私は、悲壮な気持で準備作業をしていた。

子供の頃は死に繋がる体調不良がこの世で一番恐かった。
今は恐いものはもっと沢山あり、体調不良の順位は随分と下がってしまった。

現実も、鬱々しているうちに色々な準備が滞ってしまった。
予定していた撮影も出来ず。
また個展のDMもちゃんとチェックしなかった為、かなりアバウトなものが出来てしまった。
作りが悪いので会場への地図だけ掲載しておく。
個展タイトルは銀座ミリュウと同じだが、内容は少し変る。新作も加わる予定だ。


03.9.11
友人から只券を頂いたので、クリムト「ウィーンの美神展」という展覧会へ 行ってきた。
頂いた券には上記のタイトルだけが記載されていた。ところが展示内容はクリムトの代表的な作品は5枚もないといったところだろうか。 やられてしまった。後は同時代の作家のどうでもいいような作品が並ぶ。

しかし、会場はともかく土産物屋(ポストカードなどが売られている所)は盛況であった。
まあポストカードや図録は良いとしても、あのマグカップやカレンダーは何ともし難い。
もし自分が画家ならば遺言にマグカップや文具にだけはして欲しくないと書くだろう。

私は自分の個展で使えそうな額縁等をを物色していると、
クリムトの土産物を大量に買い込む若い女性が居た。そして彼女は店員に言った。
「これだけ買ったのだからクリムトさんのサイン入りのもの、頂けないの?」
冗談か本気か真意は測りかねた。

数は少ないけれど、3枚ほど見たいものがあった。またシーレ(これも一点)の筆使いも見ることが出来て良かった。 図版より非常に色使いが美しい。
右のクリムトの作品は残念ながら展示されていなかった。
仕方がないので土産としてカードを買って帰った。


03.9.7
ここ一週間程、鬱状態に陥っている。10月の個展に出品予定の作品がうまく仕上がらないのが一つの原因だが、季節も絡んでいるのかもしれない。微妙な気温や湿度の変化が脳にどのように作用しているのだろう。そこから派生して非道く憂鬱な状態に陥る。

闇を深くするギラギラの太陽の中、約束があったので日本橋のギャラリー・かのこへと出向いた。 羊くんの個展初日である。
右の画像がギャラリーの押入れの中に展示されている。
澁澤の「ねむり姫」を想起した。


「羊屋」HP  ← ← 詳細はこちらへ 


03.9.1
先日8.31にひと月前の撮影の残りを撮り終えた。全体にSM色の強い作品となった。
撮影途中、モデルの方が暑さのせいか貧血を起されてしまった。
やはり8月の撮影はきつい。

今回と前回、アシストに京都芸大生の羊くんに来てもらった。
彼女の個展が大阪・日本橋で9月7日(日)から13日(土)まである。
羊くんの童女または少女の創作人形と撮影した美少女写真の展示である。
サッフォーのような彼女に興味のある方は羊くんのHPで詳細を見てもらいたい。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。


03.8.24
先日の旅行で、宮島の厳島神社と原爆ドームを見た。 このふたつは以前から見たいと思っていたものだ。
しかし実物を見るに、どちらもテレビや写真で観るものと えらく印象が違う。
小さいのである。
どうも象徴になると、撮影者は荘厳でおどろおどろしく見せたくなるのだろう。特に何十万もの死の象徴となると。

ドームを見て思ったことは、最近「戦争反対」とか「核反対」とか声高に言う人が少なくなったと言うこと。
理想主義者が減ったのか、「それらは必要悪」と政権保持者みたいに言う小利口そうだけれど、 想像力と知性の欠片も感じられない事を言う人が増えた。

人間も生物ならば生存競争や種の保存で、日々DNAに排他的活動を強いられているのかも知れない。しかし只それに則って生きているだけならば、何とも志の低い生き方だろう。
大脳が進化した分、本能に逆らい知性の高みを志してもらいたいものだ。
進化と言うのは科学の発達だけを指すのではない、知性の進化も考えてもらいたい。

高度に科学的だが非常に知性が低いというのは何とも醜悪で危険な姿だろうか。
最近の世論や事件(千羽鶴を
燃やす学生とか) を聞き、ドームを見て思った。


03.819
明日から宮島、尾道へと旅行に行く。夜行列車で行くのでなんとなく旅らしい。
ここのところ、旅らしいたびはしたことがない。新幹線や飛行機で何処かの都市へ向かうくらいだ。そして近代的なホテルに泊まり、その地方の深夜番組を観る。
まあしかし、それでも自分の居ない街を考えるのは素敵なことだし、知らない街は私の輪郭を浮き彫りにして見せてくれる。
夜行列車は何を想わせてくれるだろうか。

右の画像は八月初めに撮影したもののプリントである。着色は未だである。
晩夏。 旅行からの帰ってきて、またプリントと着色。
そして、続きの撮影でこの夏は終わる。


03.8.3
2日3日と続けて真夏の撮影。
やはり大量の汗をかくことになる。
次の撮影は8月末。

前回、人の移ろいについて書いていたが、趣味や好みも自覚していないうちに変わることが多々ある。
幼い頃より人並みにケーキが好きだと思っていたが、この頃いくら食べても美味しいケーキと言うものに出くわさない。
以前美味しいと確信していた店のものも大して美味くないのである。
「味が落ちたのかな」等と思っていたが、最近になってやっと気が付いた。
自分が思う程にケーキが好きでなくなっていたのである。

こんな現象は趣味のことに関しても沢山ある。読書や映画、音楽の傾向、収集しているもの等。
もう興味が失せているのに気が付かないで、昔と同じように集めていたり観ていたりする。
それは作品についても言えることだ。

早く気付いて切り替えないと、惰性で生きることに繋がりかねない。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。



03.7.16
今日、女子高の時モデルとして希望された方をもう一度テスト撮影した。年齢的なことを考慮して卒業されてからちゃんとしたものを撮る約束をしていた。
この人は女子高以来、半年で物凄く表情が変化された。 睨みつけるような強い視線が、柔らかくなっていた。

80歳になる父は、田中角栄がその政権の盛りに、自宅の池で鯉に餌をやるTV映像を見て、
「平家物語の盛者必衰の理とか言う文句を思い出す」と言った。
私は、そんな映像よりも鏡の前の自分自身の姿に諸行無常、栄枯盛衰をいつも見ていると思った。
人は心も姿も日々変化する。
何かが変わったと感じるのは、自分自身の捉える感覚が変わっている事の方が多い。
桜の花は変わらない。見ている己が変わっているのだ。

人間、自身、意識の変化を受け入れないとカフカの小説「変身」で毒虫に変身してしまった主人公のように、現実を不条理と考え悩み苦しむ。
心の変化、肉体の老いを認めないと意識が毒虫に なり、不条理に苦しむことになる。
彼女の変化と年々薄くなる髪の毛を見て思った。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。



03.7.9
昨日、テスト撮影をしていた。 初めてお会いする方だが物凄く小さい。140数センチだ。
テスト撮影をしていて、鬼か何かが小さな子供の腰に手を回して連れ去るイメージが見えた。
黒のドレスと制服を着てもらったが、制服でいこうかと考えている。
ロープであちっこっちと引っ張られるイメージも見える。

テストでイメージが一瞬でも垣間見えたら撮影のコンテを描くのが楽になる。
それが出ない時は本当に苦しむ。それはモデルさんのせいではなくこちらのイメージに偏りがあるせいだと思う。
8月くらいから撮影予定。

右の画像はデジカメのテスト画像。作品はモノクロに着彩。


03.7.6
今回、先月発売のスナイパー誌で掲載された私のインタビューと評論をスナイパー誌と相馬俊樹氏のご厚意でHPに掲載させていただいた。

このインタビューは生い立ちから語られていて、読んでいて自分が楽しめた。相馬氏の多角的なものの見方や批評は流石である。

【相馬俊樹「闇に棲む少女神」】