2004年制作雑記  前期

04.6.29
ついにHPのプロバイダもメールアドレスも変えてしまった。
毎日100から200通 来るウィルスメールに嫌気が差した。ウィルスチェックやアンチウィルスソフトを入れているが気持ちの良いものではない。
HP上でアドレスを公開していると身に覚えのない広告メールからウィルまで大量に毎日配信されて来る。そして、それらのメールのうち重要な私信メールを探す訳だが、余りのウイルスメールの多さに間違って私信メールまで削除してしまうこともある。
申し訳ないが返信のない方は今一度ご連絡いただきたい。

さて、7月15日から19日までJR住道駅にて友人の向井仁志氏の個展がある。
彼の景色はいつも自分が撮ってみたいと思い描いているのに近い。
詳しくは向井氏のHPよりご覧いただきたい。

04.6.22
ここひと月くらいは70年代に時間旅行をしていた。
音楽は時として、もう忘れ果ててしまったはずのその時、その場、その感情を想い起こさせる。
もうこの世に居ない人間が現れ、すでに取り潰された家が蘇る。
そして音楽が終わると、そこに居たはずの人も空間も消えている。
残るのはただ、その時の感情だけだ。
髪の毛を鷲掴みにしされ、過去へ連れ去られたような気分になる。

そして久しぶりに暗室に入った。
右は5月初めに撮影したもののプリント・モノクロ画像 。
発表時は着色される。ネット掲載は8月頃を予定。


04.5.21
最近、レコードアンプを買った。
25年前くらいに買った「秋吉敏子とルータバキン・ビッグバンド」の「Long Yellow Road」を聴きたくなったからだ。
次ぎに聴いたのはキース・ジャレット。それから日々レコード漬けであ。
今では歌謡曲からクラシックまで手当たり次第に聴いている。

音楽から遠ざかっていたのは音源がCDかアナログレコードかの違いに拠るものかも知れないと思った。
レコードの音が心地良いのである。
どんなにつまらない楽曲でも聴いていられる。そんなに苦痛ではないのだ。
これがCDならばイライラしてしまい、曲を飛ばしたりスイッチを切ってしまっていた。
CDは人間が聴き取れない高音や低音の帯域をカットしている。このカットされている部分が脳には気持ちが良いのかも知れない。

20年程前、レコードからCDの過渡期、気に入ったレコードはわざわざCDに買い直していた。
ノイズのないCDを絶対的に優位なものだと思っていた。
機械時計もあっという間にクォーツ時計に席捲されてしまった。
今はフィルムカメラがデジタルカメラに変わる過渡期だろうか。
それらの物自体の味が分かるのは随分と後のことなのだろう。
まあ分かったところで後戻りは出来ないし、戻るには出費が高くつく。
この頃は印画紙も随分と高くなってしまった。

右の画像は現在制作中のもの。モデルさんの体調不良の為制作は延期されている。


04.5.17
右は昭和30年代の人間が考えていた未来の交通である。
これを小学一年の時、眺めて楽しんでいた。
現実は遥かに想像を越えてしまった。

生まれた年は昭和32年だ。
「もはや戦後ではない」と謳われるほどに未だ戦争の陰を引きずっていた。
教育は勿論反戦平和教育。
「人一人の命は地球より重い」等という理想が真実のように語られていた。
この頃は殆どの国民が軍隊アレルギーで、極度に戦争と言うことに敏感であった。
何故なら前の戦争が国家権力の暴走で悲劇的な結末を迎えたからだ。
だから国民が市民が国を見張らなくてはならないと言う思いがあった。
多くの世帯が戦死者を出し、家族を戦災で失っていた。
戦争がリアルな時代だ。
卑近なところでは、近所には「爆弾池」等という
空爆で出来た穴に水が溜まり 池となった遺産も残っていた。

しかし現在。
自衛隊のイラク派遣も大した反対もなくすんなりと行ってしまった。
改憲論争にも世論は無関心だし、識者の間では必要だと言うのが大半の意見だ。
アメリカの暴走に対する首相のアメリカ支持に対しても市民もメディアも
思った程の反発をしなかった。
これが30年程前ならば火炎ビンが飛び交う大規模デモになっていただろう。
もう誰もが戦争に対してアレルギーが薄らいでいる。またはアレルギーの人達の半数が死んでしまったのかもしれない。

最近テレビを観ていると、国民も不思議なことに国益を口走る。
国益などを考えるのは国家の仕事である。
国益の為に国家は戦争をしたがる。それを阻止しようとするのが市民の仕事だ。
なぜなら戦争で市民は幸福にはなれない。
国益を手に出来るのも一部の人間だ。
戦争は常に一般市民に苦痛を与える。
家族の死。都市の破壊。
そして己の死。
どうも我が国民は自分だけはテロの犠牲者にならないと信じているようだ。

もはや戦後ではない世代に生まれた私には、今回のイラク開戦から始まり誘拐人質事件までの一連の報道姿勢や市民の反応には全く理解できないものがあった。
国家権力対市民と言う図式はアナクロニスムかも知れない。
しかし最近のメディアの権力に対する馴れ合いには辟易するし、世論の大半は憐憫の情の欠片もない。
情があることが何か知的ではないことのように捉えるのが現在の知的なメディアや市民の思想のようだ。

科学や交通は私達の想像を遥かに凌駕したが、「心優しい科学の子」と歌われたロボットも居なければ心優しい未来人の姿も数少ない。
それらの事情が喉の奥に引っかかった小骨のように、なかなか取れないで居た。

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


04.5.8
10日ほど前、真夜中に突然、廃墟マニアの辻谷氏に山奥のホテルへと連れて行かれた。ホテルと言っても小動物の一匹も姿が見えない朽ち果てた廃屋だ。
屋上のテラスから見る、月明かりに浮かぶ山河の景色が最高に良いという事だったが、バリケードが築かれて屋上へと行けなくなっていた。残念だ。
そして、8日モデルさんを連れてこの廃墟へ昼間にやって来た。真夜中と違い色々なものが見える。
初めて撮影する方だが、廃墟を見てこの人を見たときにすぐにイメージが出来ていたのでスムースに撮影を終えた。
右はデジカメのテスト画像。


04.4.26
最近、もっと作り込みたい気持ちとシンプルに撮りたい気持ちが交叉してうまく収拾がつかない。コンテが上手くかけないのだ。
下にこの間のテスト画像を先日まで掲載していたが、余りにも中途半端なので別のものと差し替えた。

右の画像は2月頃の作品。最小限の装飾に留めて、ポートレート色を出したかった。


04.4.22
最近迷いが生じて2ヶ月近く撮影が滞っていた。
先日久しぶりに撮影を再開したが、どうもバランスが悪い。
来年ドイツから出版予定の写真集用にジャパネスク的なものを乱発し過ぎたのか、
自分の撮影案に胸が悪くなってしまった。
自分の作品のコピーをしているようだ。

先日リハビリを兼ねて撮影したが、どうも無理やりという感が否めない。
周りには迷惑をかけるが、やり続けることでしか事態は変わらない気がする。

右の画像は二月頃撮影して最近プリントしたもの。


04.4.12
前回制作雑記を書いてから、やはり毎日野池に通っていた。
厳しい山道の池や湖なので二回ほど池に落ちている。 まあ好きなことで死ねるのは本望である。 本望でないのは一部の資本家の利益の為に無駄死にするファルージャのイラク市民だろう。
どうして彼の国はこうも民主主義と資本主義を強制してローマの軍隊のように世界を隈なく行進しておいて、利益の為にはこうも容赦なく民主的でも公正でもないのだろうか。
数人のアメリカ人が橋から吊るされただけで、数百の子供や幼児まで殺しておいて何処に正当性を認めればよいのだろうか。
古の残虐な専制君主が慈悲深く感じる。
右の画像は6×6での撮影のフィルムスキャナー画像。2月撮影分。

04.3.25
このひと月は週に3日は山の野池に通っていた。冬の間家に篭る事が多く運動不足解消の為 、まだ釣れないブラックバスを狙ってルアーを泳がせていた。
この釣りにはまって4.5年経つが、最近余りワクワクしなくなって来た。

写真もそうだが何か一つをやり通して、そのモチベーションを落とすことなく続けて行くことは難しい。
あれ程聴いていたレコードやCDもほとんど聴かなくなった。本も書庫代わりの本ばかりの部屋が4部屋あった。しかし今は全く読まなくなった。本も全て処分した。不思議なものだ。
一生を通して人を魅了するものはないのだろうか。
これは自分の性格に由来するものなのか。齢に関するものなのか。

父は還暦を過ぎた頃より、死を身近に感じたのか仏教に傾倒していった。しかし80を過ぎる頃より分子生物学に没頭している。
こんなことでは往生出来ないではないかと心配する。

右の画像は以前撮影したもののコンタクトプリント。
作品としては切り捨てていたカットだが、時間が経って見てみると面白いのでプリントしようと思っている。
時間は色々とふるいにかける。また時のふるいに残って来たものは確かに面白い。そんな理由で最近読む本は古典が中心だ。


04.3.17
人間ひとり、自分の為だけに生きると言うのは難しいようだ。
昔、友人の貸してくれた「独身者の為の科学」といったようなタイトルの本に、独身者の平均寿命が47か8歳と書いてあったのを憶えている。
一人で生きていると張り合いがなく、精神的に寿命を縮めてしまうといった内容だ。

私の作品は自分の為にだけ創っている。誰の為にもでもなく、誰に頼まれもしないで。
制作されたものが二次的に何かに使われたり、ギャラリーに展示されることがあってもそれが目的ではない。
これは一見気ままで気楽なようだが、独身者同様自分の中に欲望がなくなるとたちまち虚しくなり虚空へと消え入りそうになる。 元々欲望の強い性質ではないので、 創作欲の炎を消さないで居ることの何と辛いことか。


04.2.28
ここ一週間ばかり、原因もなく鬱々としている。とは言っても昔程大きく落ち込むことは余りない。
10年前はそれこそ毎日寝たきりの病ダレの日々だったが、ここ数年あまり大きく体調や精神を崩すことなく過ごしている。
特にルアー釣りを始めてからは精神が健康すぎて、性的パラノイアな作品が2年程制作が出来なかった。狩猟本能が全開であった。
なのでたまに鬱々として家にこもる方が作品作りにとっては良いのかもしれない。
とは言ってもやはり私の作品は性的にかなり偏った病的なイメージである。まあこれは性格と癒着しているのだろう。

右は22日に撮影したもののデジカメ・テスト画像。


04.2.21
二月の中頃、春一番が吹いた日に「大英国博物展」に行った。
展示物は全大陸の重要な歴史遺物であり、年代も様々である。
見ているだけで頭が地図と年表で混乱する。
しかし、ひとつづつ丹念に見ると実に興味深いものばかりだ。
一時間で見たので脳がキャパシティを越えた。

キリストや聖者の聖遺物は、それぞれの寺院のその時代の客寄せとして興味深い。
またエジプトの呪いのミイラボードはタイタニックまで沈めたとあるので、たいしたものである。
云われてみると無気味に見えるから不思議だ。

右は18日に撮影したもののデジカメ・テスト画像。
続きは3月末頃に撮影予定。


04.2.12
昨日は久しぶりに山を歩いた。近頃にしては珍しく暖かだった。
私は若い頃、大人は傷ついたり悩んだり余りしないと思っていた。
実際中年を越えても悩みは尽きず、またひどく傷つくこともある。
見かけはふてぶてしく、面の皮も腹の肉も分厚いのに。
何とも不似合いにセンチメンタルだったり自信を持てなくなったりもする。
外見は変われど中身はほとんど同じかもしれない。

着物バージョンは全てプリントをした。後は着色を残すのみ。
右はモノクロプリント画像。これから着色をする。


04.2.3
節分である。何か状況が節のように分かれて変われば良いのにと願う。
論理的には考えて無駄なことで随分と悩んでいる。
悩みすぎて胃に穴があき、鬱々とした日々を過ごしている。
しかし、いくら考えないようにしても、脳は勝手に深層部で働いて、体にストレスを加えている。
何とも不合理である。

右は1月25日の山中での撮影のデジカメテスト画像。
雪がそこかしこに残っていた。寒いと心が萎縮する。
もっと寒いはずのモデルの方は萎縮していなかった。 素晴らしいことである。


04.1.26
遠方のモデルの方に23日から来ていただいて、翌日から3日間かけて撮影をしました。
女性二人の着物バージョンと雪の残る山中でのゴスロリバージョン。
寒さのせいか風邪が残っているのか、微熱を出しながら気だるく無口に撮影していました。

女性二人をメインで撮るというのは随分昔にやっただけで、最近では珍しく、結構新鮮な感じで制作できました。

右はデジカメのテスト画像。


04.1.19
熱を出してしばらく寝込んでいた。インフルエンザなので薬も効かない。ただアミノサプリを飲んで寝ていた。熱を下げたり抗生剤を飲むと一時的に楽にはなるが治りが遅くなる。
実は、今日から秋田に行く予定だったのである。
高熱に耐えて、腰の痛みに耐えて薬を飲まずに寝ていたにもかかわらず、結局完治せず。
今週末からの撮影に備えて旅行はキャンセルした。

しかし、乗るはずの飛行機は実は飛ばなかった。不具合が見つかったJASの一斉点検のためである。
どっちみち行けない運命だったのだが、無理して空港まで行っていればキャンセル料は取られないで済んだと思うと複雑な心境である。

プリントは寝込む前に仕上げたプリント。


04.1.7
新年である。
老いることは有り難くないが、無事越年出来ることは目出度いことだ。
しかし思えばほぼ何も成さずに半世紀近く生きている。

10代の頃、一年は長く、百年前といえば大昔であった。
ところが父が一世紀、自分が半世紀近く生きていると
百年という時間の感覚がつかめて来る。
そんなに昔とは感じなくなって来るから不思議だ。
私の憶えている祖父は明治10年代の生まれである。
モネが日の出を描いた頃だろうか。
日本は維新から僅か10数年だ。
モネも維新も知り合いの生きていた時間軸にある。
決して教科書の中だけのことではないという感覚は楽しくもある。

毎年、年末に放映される身近な歴史番組「映像の世紀」を観ていると、
遠く未来へ来たもんだと何故か孤独になり感傷的になる。
この孤独感や疎外感はきっと年々強くなるのだろう。

右の写真、上はムサイ氏と03年暮れに山を散策した折。
ムッシュー・ムサイ氏は「此処ではない何処かへ」日常旅をして写真を撮影している。
下は新年元旦近所の神社にて山崎と。